障害受容について①

「障害が個性」という考え方が嫌いだ。その考え方で自分のことを捉えられているのなら、更に不快だと僕は感じる。障害を肯定的に認識して受容するべきである、と上から言われているように感じることが不快だ。僕の個性を勝手に障害に還元しないでくれ、と思う。あなたがそう思いたいのは、あなたについてそう思ってくれればいいわけで、僕にあなたの認識を当てはめようとされても困るし、ひどく不快だ。

障害者の自己受容の在り方は、周囲の人の障害受容と、障害を持つ障害当事者の自己受容で決まってくるものだが、障害受容の有無が療育手帳の取得に関わるため、障害者への公的サービスや福祉の受益のためには、周囲の人も障害者当事者も「障害受容をする」ことを求められる。

僕が障害者であることを社会的に認知されるためには、より障害受容の進んでいる事を示したりしなければならないのだろうか。障害当事者は、障害受容の完了を目指さなければならないのだろうか。障害当事者に関わる人は、障害受容をしていかなければならないのだろうか。

僕は好きで障害者をしている訳ではないのだが、障害を持っていても暮らしに満足しているよ、幸せだよ、という風に装えないとならないのだろうか。